ここ一番の大勝負で失敗した時にボクはどうする?

人に好かれるセリフ
「なぜ、そういうミスをしたの?」⇒「どうすれば、ミスを防げる?」

ー---------------------------------------

このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1468回を、文字起こし・編集したものです。

【1468回】ここ一番の大勝負で失敗した時にボクはどうする? | Madoka Sawa「澤円の深夜の福音ラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「Madoka Sawa」の「【1468回】ここ一番の大勝負で失敗した時にボクはどうする?(2022年3月27日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

うまくいったためしがない

昨日(3/26)はですね、このVoicyにも出てもらった青木真也選手の試合だったんですけれども、非常~に残念な結果に終わってしまいました。

別に、それを解説するつもりはなくってですね。

その後に、すぐに青木選手がnoteを書いていて、その中で書いていたことっていうのがすごく印象的だったので、ちょっとそれにつなげて、僕も話をしようかなと思うんですけれども。

応援ありがとうございました。 |青木真也 shinya aoki
3月26日 応援ありがとうございました。 皆様のおかげで試合まで辿り着くことができました。感謝しています。ありがとうございました。思い描いた結果にはなりませんでしたが後悔はしていません。大きな怪我もありません。ご心配おかけしました。 全ての方々に感謝します。ありがとうございました。

これ、有料のnoteなので、さすがに全部読むとかってことはしないですけどね。

そのエッセンスだけ、ちょっとお話をすると。

実はですね、青木選手は、節目の大一番とかですね、すごい注目の一戦とかっていうのを、結構落としてるんですよね。

これはもう、僕はデビュー当時からずーっと青木選手のことを追っかけてる人間なんで、「これはなんとなく、言ってることわかるなあ」って感じなんですけど。

所謂、世紀の一番みたいな感じになると、勝つか負けるかって言うと、負ける方が圧倒的に多いっていう、そういうタイプの方なんですよね。

なのでまあ、応援している側もですね、なんか継続的にずーっと応援するような、なんか横にいるような感覚になるっていうところはあるんですが。

そしてそれについてですね、ちょっと本人はそういう意識はないかもしれないけど、ちょっと自虐的な感じで書かれているところもあってですね。

そこにも僕は、すごい共感をするんですよね。

というのも、僕もですね、ここ一番みたいなところは、だいたいダメなんですよね。

例えば、僕は、入試は全部失敗してるんですよね。

たしか、中学受験も一応してるんですけれども、中学・高校・大学ってこれ、ぜ~んぶ第一志望は落っこちてますし。

大学は現役の時に、高校3年生の時に受けたのはもう全滅をして、一個も受かんなくて。

で、一浪して、やっとこさっとこ、どうにかこうにか受かった、っていう感じだったんですよね。

で、高校も中学も、受かることができなくって。

中学は公立に行って、高校は滑り止めに行ったという感じだったんですよね。

社会人になってからも、「ここぞ!」みたいなところは、だいたいダメでですね。

それの典型が…

スキーの検定なんていうのは、もうヒドいものでですね。

僕、今一応、正指導員っていうのを持ってるんですけど、2級は9回落ちて、10回目でやっと受かってですね。

もう何回受けたのか全く覚えてないんですけれども、1級は7年かかって、ようやく受かって。

準指導員っていうのは、年に1回しか受けらんないんですけれども、取るのに6年かかりましてですね。

(参考:https://shikakuhiroba.net/sports/5088

間に2年、ちょっと受けるのを止めた時もあったんですけれども、6年かかってやっとこさっとこ通って。

そして、正指導員っていうのは、これまた4年かかって、4年目にやっと受かったっていう、そんな有様だったんですよね。

まあ、ヒドいもんです。

あと、空手の黒帯も持ってるんですけど、茶帯から黒帯になる時の昇段試験(型の試験)で思いっきりミスしましてですね。

「それさえ、やっておけば」っていう時にポカやって、まあ、結局通らなくて。

その後1年経って、もう1回昇段試験受けて、どうにかこうにかっていう、そんな感じだったんですよね。

まあ、だいたいですね、これさえやればっていうのは、ダメなんですね。

まあ、そういうタイプの人間です。

ちなみに、カミさんも同じようなことがあったらしくてですね。

カミさんの場合には、美大生だったっていうのもあって、なんか作品を作るっていうのを〆切内に完成させられなくって、土俵にも立てなかったなんていう経験あるみたいなんですけどね。

まあ、似たような夫婦ですね。

ということで、「ここ一番・これさえやれば」みたいなやつは、僕ダメなんですよね。

だけどですね、”残念なことに”って言うと、これ適切な表現じゃないんですけれども、そこで人生終わるわけじゃなくってですね。

これ、侍の世界で且つ江戸時代よりも前の、ほんとに命のやりとりっていうのが当たり前な世界だったら、武士だったら、死んでるわけですよね。

だけど、そういう世の中じゃないので、ここ一番の大勝負っていうのに負けてもですね、人生続いちゃうんですね。

じゃあ、どうなるかって言うと、続いてる中で、ぼちぼちやっていくっていう。

それしかないっていうことなんですね。

僕の場合には、ぼちぼちやっていくものが、いろんなものがつながっていって、最終的には僕を形作っているわけなんですけれども。

ということでですね、僕にとって残っているものっていうのは、継続していって、最終的に形にするっていうですね。

めっちゃ時間をかけてやっていくっていう。

そして、それを維持していくっていう。

そういうタイプなんですね。

別に、「なんか大勝負をかけて、それで”勝ちました!ウェ~イ!!”っていうような成功がダメだ」とかいうつもりは、全然なくて。

むしろ、それに憧れるんですけど、僕できないので。

しょうがないので、ぼちぼちとやっていって、なんとなく形になったものっていうのを、さらにそれを続けていって、ちょっとずつちょっとずつそれを改良して向上させていくみたいな。

そういうアプローチを、取るようになりました。

しているというよりも、なっちゃってるんですね。

もうこれは、他のチョイスがないので、そういうもんなんですね。

僕の人生というのは、そういう風にできているみたいです。

「継続は力なり」っていう風に、よく言われますけれども、”それが、僕の武器です”とかって言うつもりは、あんまりないんですよね。

「そうなってしまってるだけで、結果論でしかない」という風に思ってます。

むしろ、華々しくいろんなところで結果を出す人の方が、カッコいいなと思うんですけれども。

できないものは、できないので。

ということで、これも”諦めずに、ずーっと続けるっていう、その忍耐強さすごいですね”って、そういうのとも、また違うんですね。

コツコツやるしか能がないので、それをやっているというだけの話であって。

ほんとにこれは、選択肢が他にないからやっているというだけのことなんですよね。

なので、続けるとか、何かずーっとやるっていうことを一生懸命やっているわけでもないっていうかですね。

自然と、そうなっちゃってると。

”それが、武器だ”とも言えるのかもしれないんですけれども、そんな生き様をしてるわけですね。

そんなタイプの人間にとって、”最も困る”と言うか、答えづらい質問があってですね。

”何をきっかけに、そうなったんですか?”とか、”人生を変えるような、大きな出来事は何ですか?”とかっていうの、結構困るんですよね。

というのも、そういう大きなターニングポイントみたいなところで、「成功する」ということもないし。

そして、「なんか大きい失敗を1個やって、そこでグルッと変わった」とかってのもないですね。

何度も失敗をぶっこみますので。

失敗の数があまりにも多くって、どれがきっかけだったかなんてのは、全然覚えてないんですよね。

一生懸命記憶を辿っていっても、「うん、あの時に自分は変わったな」とかって、ないんですよね。

全てがジワジワと、マーブル模様みたいに混ざっていってですね、なんか「いつの間にか、こうなってました」「いつの間にか、うまく行くことが増えました」とか。

そんな感じの生き方をしております。

「たぶん、今後そんな感じで続いていくんだろうな」と思うんですよね。

周囲から見てると、僕はなんか”キラキラとしてる生き方をしてますね”とかですね、”挫折知らずで今まで来てるんじゃないんですか”とかですね、”軽やかにいろんなものができて良いですね”とか言うんですけれども、んなことは全然ないですね。

もう、がたっぴしですね。

いろんなところで躓いたり、すっ転んだりしながら。

でも、しょうがない。

人生まだ続いてるんで、「まあ、しょうがないからやるか」っていう感じなんですよね。

そして、ここでまたマインドセットとして、カッコ良くないところがですね。

よく美談で語られるのが、「その悔しさをバネに」とかですね、「逆境を跳ね返し」とかですね。

そんな感じで、いろんな方が成功談を語ったりとか、あるいは外部から語られたりするんですけど。

僕、悔しさをバネになんか、全然できないですからね。

そんなものバネになんなくて、全部重しにしかならないですし。

「何かこう失敗したっていうので、ハッと目覚めて」なんてことはないですね。

失敗したらひたすらそれに落ち込んで、落ち込んでいる状態に慣れて、ようやく次に行けるっていう、そういうタイプの人間なんですね。

「だから、いろんなものが時間かかるんだろうな」と思うんですけど。

「まあ、それはそれかな」と思います。

もしかしたらですね、これをお聴きの方々の中にはですね、「そうやって何か失敗した時に、うまく立ち直れないんです」という人も、いるかもしれないんですけれども。

僕も、完全にそんなタイプなんですね。

そして、「立ち直る必要も、ないんじゃないの?」とも思うんです。

いつの間にやら、少なくとも生きているうちにですね、いろんなものが情報として入ってきますから、上書きされていったりとか、薄まっていったりすると。

ですので、ずーっとその失敗なり挫折なりっていうものに対して、向き合っていく必要もないと言うか。

「そうしてる暇が、なくなってくるんじゃないかな」と思うんですよね。

なんのかんの言ってですね、飯食わなきゃいけないし、人とも会わなきゃいけなかったりするし、仕事もしてるうちに、また新しい仕事がやってきたりするしっていうことで。

時間が経過していくと、いろんな情報がどんどんどんどん積み重なっていくと。

それに身を委ねていると、いつの間にかアップデートがかかっていって。

忘れはしないけれども、他のことで傍から見ると、「うまく行ってるじゃん」っていう風に思われることが増えてくるかもしれないわけですね。

僕は、少なくともそういう風な生き方をしてるんで。

もしですね、失敗したりとかですね、何か挫折を味わった時に、「なかなか立ち直れないんです」っていう方がいたら、「僕も、そうですよ」と。

”心配しないでください”とは言いませんけれども、”まあ、お互い頑張りましょうね”。

そんな感じでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました