家族を侮辱されたときに自分を抑えられるか?

人に好かれるセリフ
「そういえば、私もこんなことがあって」
「ちょっとだけ話してもいい?私の話も思い出したの」

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このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1469回を、文字起こし・編集したものです。

【1469回】家族を侮辱されたときに自分を抑えられるか? | 澤円「澤円の茶話会ラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「澤円」の「【1469回】家族を侮辱されたときに自分を抑えられるか?(2022年3月28日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

アカデミー賞で起きた出来事

今日はですね、「家族を侮辱されたら、どう感じるか」って話を、ちょっとしようかなと思うんですけど。

というのもですね、これホットトピックなんですけど、ウィル・スミスという役者さん、僕大好きなんですけどね。

そのウィル・スミスさんが、アカデミー賞の授賞式で、プレゼンターを務めていたクリス・ロックさんっていう人を、ぶん殴ったらしいんですよね。

これ動画見たんですけど、まあほんとに平手打ちですけど、思いっ切り引っ叩いてますね。

「これは、スゲェな」って感じなんですけど。

これ何かって言うと、そのクリス・ロックっていう人が、ウィル・スミスさんの奥さんの髪型をいじったということなんですね。

というのも、ウィル・スミスの奥さん、ジェイダ・ピンケット・スミスさんっていう方なんですけど。

その方は、脱毛症になってしまって、頭が丸坊主になっちゃったみたいなんですね。

要するに、病気で髪の毛が無くなってしまって、坊主頭になっちゃったっていうことなんですけど。

それをですね、いじったらしいんですよね。

それも、「G.I.ジョー」っていう映画があって。

  (G.I.ジョー…“アメリカ兵”を示す一般名詞的な呼称)

「GIカット」っていうのは、髪の毛を丸坊主にするっていうか、非常に短くするっていう髪型ですけれども。

アーミーカット
引用…https://www.pinterest.jp/pin/766526799055488472/

それをもじってというか、それとつなげてですね、髪型についてなんかゴチャゴチャ言ったらしいんですよね。

そして、メチャクチャ怒って、舞台まで上がって、思いっ切り引っ叩くっていうですね。

そういうことを、やっちゃったみたいなんですよね。

で、所謂、放送事故って言うやつで。

TV中継してたんですけれども、それで一時、放送が止まったみたいなんですよね。

さあ、これをどう見るかってことなんですけど。

まあ、単純に正論で言うとですね、”暴力は、許されない”と。

「この一言に、尽きるんじゃないかな」と思うんですね。

「じゃあ、どっちが悪いのか?」ってなると、「ここは、結構別れるところかな~」って思うんですよね。

ちなみに、「善悪というものを、判断するものは何か?」って言うと、非常にわかりやすく言うとこれ、法律なんですよね。

法律上、「暴力」というものは許されていませんので、一般的な法律において。

少なくとも、日本においては「暴力」っていうものは容認されてませんし、「おそらくは、アメリカでも容認されてない」と思うんですね。

「暴力」っていうのは、良くないと。

ですので、「暴力を振るう」というのが、正当化されることはないんですが。

じゃあ、僕がですね、カミさんのことを公然と侮辱された場合。

だってこれ、アカデミー賞の授賞式ですからね。

そのプレゼンターが、ステージの上で、自分の家族を侮辱するというですね。

なかなかこれは、滅多にないと言うか。

一般的にはですね、体験のしようがない状況・シチュエーションだと思うんですけれども。

そういう意味で言うと、「かなり、特殊である」ということは差し引いた上で、「自分の家族が多くの人・衆人環視のもと、侮辱をされたことを黙って見てられるか」っていうと、「僕は、絶対無理だ」と思うんですよね。

暴力は良くない、これ正論ですから、正しいことではあるんですよ。

だけど、「暴力は良くないから、ここは僕は我慢しよう」と思うかというと、たぶんこれ、優先順位変わるんですね。

暴力が良くないことは、重々わかっているけれども、それ以上に、「自分は、コイツをぶん殴らないと気が済まない」という風になる可能性は、大いにあるかなと思います。

ほんとにですね、物理的にぶん殴るかどうかはわからないですけれども。

少なくとも、黙らせる為の行動っていうのは、絶対やるでしょうね。

例えば、我が家ですね、アカデミー賞の授賞式に参加するとは、とても思えないんですけれども。

場面は別だとしても、何かの壇上とかですね、多くの人がいる前で、僕のカミさんを公然と侮辱するような、マイクとかそういった物を使ってバカにするようなことを言ったとしたら、黙らせるということは、絶対やるでしょうね。

ステージに上がって、マイクを奪い取るとかですね。

そういうことは、絶対やると思います。

少なくとも、「その場で全く行動しないという選択肢は、僕にはないかな~」と思うんですね。

なんでかって言うと、その場で暴力は良くないということを前提にして、それをですね、行動の中心においてその時間をやり過ごしたらですね、メチャクチャ後悔すると思うんですね。

メチャクチャ後悔すると思います。

そして、仮にですね、暴力を振るうかって言うと、ちょっと僕は、人を殴るということに関してはですね、空手をやっているということもあって、かなり特別な行動である。

当たり前ですよね。

人を殴るのが日常の行動であるっていうのは、ちょっとこれ、「生活している状況に問題あり」っていう風に思うんですけれども。

それは、置いといてですね。

僕は人を殴るということに関しては、かなり限定された条件の中でしか行わないというのが、原理・原則なわけですよね。

そして、そういうのを差し引いたとしても、何も行動を起こさないっていうことについては、たぶん、自分自身を許すことはないと思うんですよね。

「あの場では、絶対行動しなきゃいけなかった」っていう風に、自分に対して厳しい目を、その後に向けることになってしまうので。

たぶん、「後悔しない為にも、何らかの行動をするって選ぶんじゃないかな」と思います。

これはですね、「価値観の優先順位」っていうところに、つながってくるのかなと思うんですよね。

「価値観の優先順位」という観点で言うと、僕にとっては、家族がバカにされる。

あるいはこれ、大事な仲間かもしれないですね。

自分だったらまだね、これ、やり方変わると思うんですよ。

ただ、自分が大事に思っている人とか、何か大切にしている人間関係とかっていうのに対して、非常に否定的なもの、何かよろしくないことが起きたとしたら、これは僕は、たぶん行動すると思うんですよね。

行動しないと気が済まないし、絶対後悔するし。

「何の為に生きてきたんだ、今まで?」っていう思考になると思うんですよね。

正しいか正しくないか、じゃないんですよ。

ただ、ある意味においては、正しいかもしれないですね。

自分にとっての正義なんです。

それは、世の中における、例えば、法律的な面での正義というのとは、違うのかもしれないんですけれども。

ただ、自分の正義の方を優先するというシチュエーションは、あっても良いんじゃないかと思うんですよね。

結果的に、手が後ろに回ってですね、刑務所暮らしになる可能性があるかもしれないですけれども。

じゃあ、”後悔するか?”って言うと、僕はたぶん、そうなっても後悔しないような気がするんですよね。

「まあ、そういうもんだ」という風に思って、甘んじて受け入れるという風になるのかなと思います。

あくまでこれは、自分もしくは自分の家族に向けて、何らかの矢印が向けられた時ですね。

そういう時には、たぶん法律以上に優先度を高めるということが、何かしら起きるような気がしています。

これですね、ほんとに曲解して、暴力を容認するのかっていう風に考えちゃう人もいるかもしれないですけど。

僕、そんなこと言ってないですからね。

暴力っていうのは、良くないんですよ?

良い世界なんていうのは、無いんです。

ただ、それがですね、起きてしまう世の中っていうのも、あったりするわけなんですけれども。

なんだけど、暴力は無くしたいんだけれども、どうしたってそれに依存しなきゃいけない場面というのが出てくるということは、あるわけですよね。

だけど、「これはあくまでも、個人的な価値観っていうところに留めておきたいな~」っていうのが、僕の考え方なんですよね。

そして、最終的には、身の処し方っていうのは、法律によって決められるっていうのも。

これも、法治国家であれば、仕方がないですね。

「俺が法だ」というわけには、いかないですからね。

ですので、「それも含めて、全部自分が責任をとるのである」と。

そして、「後悔しないように、生きるのである」っていう風に考えた場合には、僕はですね、ウィル・スミスさんの取った行動っていうのは、自分に照らし合わせると、「たぶん、同じことするよな~」っていう風に思うわけですよね。

もし仮に、これが刑事事件に発展して、ウィル・スミスさんが何らかの罪に問われたとしても、それはそれで仕方がないでしょうし。

おそらくは、そういった覚悟っていうのはあるでしょうし。

まあ、場合によってはそういう情状酌量とか、いろんなことが起きるかもしれないですけど。

その辺は、僕は、知ったこっちゃないですね。

ただ、その心情と取った行動というところに関しては、僕は、ものすごく賛同できますし。

「同じ状況になったら、たぶん僕も、同じような行動に移るんじゃないかな」と思うわけですね。

どうでしょうかね?

こういった、結構ショッキングというかですね、非常にメッセージ性の高い出来事っていうのを見た時に、「自分に照らし合わせて考えるっていうのは、結構大事なことかな~」と思うんですよね。

もちろん、最終的にはですね、法律っていうものによって、法治国家においては、自分の行動っていうのは制限をされたりとかするわけなんですけれども。

そういうのを差し引いたとしても、自分が正しいと思うことをやり抜く・やり続ける。

そういったことは、大事なのかなと。

「人生を送るというのは、そういうことなんじゃないかな」と思うわけですね。

はい、ということで。

まあ、その後ですね、ウィル・スミスさんは、見事にアカデミー賞を取られましてですね。

これ、初受賞みたいですね。

そしてこれまたですね、受賞した作品っていうのが、「ドリームプラン」っていうですね、テニスのウィリアムズ姉妹の、お父さんの物語なんですよね。

「自分の娘2人っていうのを、世界チャンピオンにする」っていう、夢の計画を実行したっていう。

そういうお話なんですけれども。

これまた、家族の話なわけですよね。

「ほんとにそこにつながるのも、ちょっとある因縁があるのかな」なんて思いますけれどもね。

はい、ということで。

興味のある方は、ネットにも、た~くさん情報転がってますので、ちょっと見てみてください。

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