人に好かれるセリフ
「こうするべきだよね」⇒「こうしてください」
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このページは、Voicy「幸せ応援ナースのラジオ」#181を、文字起こし・編集したものです。
【モノじゃなくて、記憶でいいかな。】
はい、ということで、皆さんは「心に残る差し入れ」って言われたら、思い浮かぶモノってありますか?
差し入れ、プレゼントとかなのかな?
私も有難いことに、Voicyの差し入れ機能とかでね、リスナーさんからプレゼントを頂くこともあるんですけれども。
ほんとに、一つ一つすごくすごく嬉しくてですね。
でも、心に残る差し入れって、いわゆるモノですよね。
もらったモノとかってなるのかな、と思うんですけれども。
私は、やっぱり一番は、モノじゃなくて記憶に残るものっていうか、存在なのかな、と思ってます。
もちろん、記憶っていうのもね、どんどんどんどん色褪せていくって言われていますし、過去の記録とかもね。
いろんなことで見方が変わってくると、捉え方も変わってくるので。
その時に感じた感情とかっていうのは、変わってきてしまうかな、と思うんですけれども。
でも、あんまりモノというよりも、「いてくれてありがとう」っていうところに行き着くんですよね。
とはいえ、私、サプライズしたりとかプレゼントするの、すごく大好きで。
Twitterで知り合った人達とかにですね、内緒でメッセージ集めて、色紙にして。
当日プレゼントしたりとか、メッセージカードにしてみたりとか。
そういうこと、すごいしてましたね。
この放送も聴いてくれてるかもしれないですけれども。
私、お兄ちゃんがいて、いとこのお兄ちゃんですけどね。
私がいて、いとこの弟がいて、自分の実の弟。
で、いとこの妹がいてみたいな感じの。
まあ、いとこって、いっぱいいますよね。
その中で、私、女のいとこが一人だけなんですよ。
まあ、私、妹として可愛がってますけどもね。
その子にね、言われて、思い出したんですよね。
すっかり、私、忘れてまして。
昔々、自分が使った化粧品だったかな?
それが、すごい良いな、と思って。
たしか、東京に行った時だった、と思うんですけど。
いとこが、福岡に住んでいて。
東京にたまたま来て、私の家に泊まって。
”この化粧品、すごい良いよ”って言って、その子に使わせたんですって。
記憶、私の中では、だいぶ薄れていてね。
”記憶でいいかな”とか言っておきながら、記憶薄れていってるんですけど。
その時に、”姉ちゃんが言うなら、使ってみたい”って、使ってくれたような気がしていて。
すごい、喜んでくれたんですよ。
だから、東京から福岡に帰るのにもね、一日で帰れるけれども。
たしか、旅行がてらだったか来てた、と思うので。
彼女が福岡に帰るまでの間に、少し時間があった。
だから、私は、その大好きな化粧品をフルセットで準備して、彼女の家に送ったらしいんですよね。
まあ、ここ曖昧なんですよ、私からの記憶って。
でも、彼女の中での記憶って、すごい鮮明だったみたいで。
”姉ちゃん、そういうことしてくれたじゃん!”って、すごい言ってたんですよ。
”忘れないで!”って、つい最近、言われたんですよね。
で、そっか、って、ふと思って。
だから、その時は、私、モノをプレゼントしてますけれどもね。
でも、結局、モノって使っていくと、無くなっていくじゃないですか。
消費されていく?
それよりも、体験とか記憶に残るものって、その方がすごく鮮明に残る。
で、いとこの彼女にとってもですね。
メーカーも、彼女憶えていていたし。
全て思い出してくれていて。
しっかり、記憶として残っていて。
”ありがとう”って、今でも言ってくれる。
たぶんもう、10年以上前の話なんだけれども。
私は、心に残る差し入れというか、いわゆるモノ、物質的なものではなくて。
目に見えないもので、思いが籠もっているものであれば、なんでも良いのかな、って思ったりしています。
でも、人の記憶って忘れていってしまうのでね。
どんどんどんどん忘れてしまうこと、たくさんあるんだけれども。
それでも、インパクトのあることって、忘れなかったりしますよね。
何度も何度も想起するから、思い出していく。
その中で、心に残った出来事って、何かあるかな、って思うと、あんまりパッと思い出せない自分が、どこかいて。
それは、いっぱいいっぱい、皆にgiveしてもらってたからかな、と思うんですよね。
もちろん、看護師になって辛いこともたくさんあったけれども。
それ以上に、患者さんから”ありがとう”って言葉をもらったりとか、助けられなかった命も、たっくさんあるけれども。
でも、その度に、いろんなことを学ばせて頂いて。
生きる意味とか、人生とは何かとか、家族のこととか、自分のこととか。
毎回、その度に、いろんなことを気づかせて頂く。
そして、だんだんだんだん日常に戻っていって、また忘れていって。
そしてまた、何かのタイミングで、思い出させてもらう。
こういう、人とのご縁だったりとか、出会いだったり、日々感じることっていうのに、丁寧に向き合っていくっていうことが、それ自体が、私にとって心に残る、いろんな人からの差し入れなのかな、って思ってます。
で、私は、結構他人軸で生きていることが多くて。
人が喜んでくれれば良い、っていうところが、どっかあるんですよね。
だから、どこか自分のことって、おざなりになっていて。
自分を愛でるって、ちょっと小っ恥ずかしかったりとか。
自分を愛しましょうとか、自分に感謝するとか、自分と向き合うとかって、ほんっとにしてこなかったんですよね。
でも、今、37で。
やっぱり、いろんなところで、自分らしくとか。
もちろん、川原卓巳も、自分らしく生きていけるようなオンラインサロン「SENSE-自分らしさ探究室-」を主宰してくれているし。
でも、今でこそ、私も運営側にいるのでね。
「自分らしさを見つけたい」っていう方達が、たくさん来る中で、そのサポートもさせて頂いていておりますけれども。
私自身が、ほんとに自分らしさがわからなかったんですよね。
何者かにならなきゃいけないとか、一番近くにいる自分のことが、わかっているようでわからなかった。
Voicyっていう、このプラットフォームのおかげで、自分の声を聴く、っていうのには慣れました。
自分が話している時の声と、何かを通して聴く時の声って、違ったりするじゃないですか。
なので、どっかね、自分で録っていて、こうやって聴いてくださっている人がいるにも関わらず、自分の配信を聴くのが、どこか照れ臭かったんですよね。
でも、今は素直に自分の配信を自分で聴くこともできるし。
思った以上に、この時、喋っている時、結構テンション高めで喋ってるんだけれども、媒体を通して聴くと、ちょっと声低いな、とか。
もうちょっと、声ワントーン上げようかな、とか。
もっと、わかりやすく喋れたら良かったな、とか。
ほんとにほんとに、いつも感じるんですよね。
これも、こうやって聴いてくださっている方がいるからだし。
Voicyというプラットフォームに、審査制でね、応募して、認定して頂いたVoicyのおかげだし。
Twitterやってなかったら、皆さんと出会えなかったかもしれないし。
そもそも、何もアクションしてなかったら、何にも誰とも出会えなかったかもしれない。
そう思うと、ほんとに全てにおいて感謝だな、って思うんですよね。
だから、「心に残る差し入れ」っていう、Voicyのハッシュタグ企画のおかげで、改めてモノ?
今、私も、自分の部屋で喋ってますけれども。
いろんなモノが溢れていて、多い人で、20000とか30000点とか、モノ持ってるんですよね。
そう言われた中で、やはり、モノが多すぎるな、と思っていて。
大量生産とか、大量消費とかね。
で、余るじゃないですか、モノもね。
でも、そういうところに、価値を見出したりとか、必要性を見出す前に、もっと今、自分が持っているモノとか、内側に秘めているモノとか。
そういうモノに向き合って、丁寧に過ごしていくこと。
そして、それを相手に届けていく。
それが、心に残っていって、相手との良い関係性とかに気づけていったりするのかな、っていうのを、改めてこの企画で、思い出させて頂いたというか、感じさせて頂くことができました。
持っているモノを手放すのも怖いし、嫌だし。
それって、なんか、過去に自分が選んできたモノを否定するようで。
どうしよう、って思ったりとかね。
これを捨てることによって、環境破壊になってしまうんじゃないか、とか。
いろんなこと考えるんだけれども。
でも、一回抱えているモノを全部外してみないと、ほんとに何が大事なのかなっていうのがわからないな、って。
最近、ほんとによく感じています。
ちょっとね、長くなってしまいましたけれどもね。
ぜひ、皆さんも、心に残る差し入れって何かあったかな、とか。
でも、別に、これはモノであっても良い、と思うんですよね。
モノを、私は否定しているわけでは、全くないので。
ぜひ、皆さんの中でね、自分だったら何が心に残っているのかな、とか。
何を大切にしていきたいのかな、とか。
そういうことに向き合って頂ければ、良いのかな、とVoicy録りながら、思っておりました。
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