親の七光に反発したくなる気持ちについて。

人に好かれるセリフ
「今日はかわいいですね」⇒「今日も素敵ですね」

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このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1502回を、文字起こし・編集したものです。

【1502回】親の七光に反発したくなる気持ちについて。 | 澤円「澤円の茶話会ラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「澤円」の「【1502回】親の七光に反発したくなる気持ちについて。(2022年4月30日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

世の中は平等ではないという前提

今日はですね、親の七光というテーマを、ちょっと取り上げてみようかな~と思うんですけど。

親の七光りとは - わかりやすく解説 Weblio辞書
親の七光りとは? 親の七光り(おやのななひかり)とは、権力を持つ親を持った子供がその恩恵を受けること。脚注^ Yahoo!辞書 - 親の光は七光り「親の七光り」の続きの解説一覧1親の七光りとは...

ネットニュースを眺めていたら、「親の七光のくせに…」という感じで批判を受けているっていう、とある人のことがニュースになっていてですね。

「親の七光というものを利用するっていうのを批判するというのは、どういうことなんだろうな~?」というメカニズムに、ちょっと興味を持ったんですね。

親の七光。

例えば、親が有名であるとか、ある領域においては非常に権力を持っているとか。

そういうのを利用してですね、少ない労力で高いポジションを手に入れたりとか。

あるいは、すごーくいろんなことを有利に進めたりとかですね。

まあ、「そういうのがズルい」っていう心理なんだろうな~と思うんですけど。

僕自身は、その親の七光というものを利用して。

そして、何かそういうポジションを手に入れたりしている人達のことを羨ましく思うかっていうと…

今は、あんまり思わないですね。

昔は、ちょっとぐらいは羨ましがったんじゃないかな~と思うんですけれども、今は全く、そういうのはないし。

もっと言うとですね、「ある意味それって、呪いだよな」とも思うんですよね。

つまり、すっごい本人努力したとしても、”それは、親のおかげだよね”っていう風に言われると、自分は努力が正当に評価されてないんじゃないかって思う人もいるんじゃないかな~と思うんですよね。

ですので、”親の七光”という風に言われてですね。

何か文句を言われると、努力をしても正当に評価されないかもしれないっていうですね。

これは、呪いになっちゃうんじゃないかな~って、僕は思います。

とはいえですね、やっぱり世の中には、親の地位とか、権力とか、何とかっていうのを利用して、すごく短い時間で良いポジションを取るっていうことに成功している人達もいるのは事実ですよね。

”じゃあ、それがズルいのか?”と言うと、「利用できるものをしているだけの話であって、別にズルかないよな~」っていうのが、僕の見立てなんですね。

なにしろ、子供は親、選べませんから。

選べない中で、たまたま自分の親が利用できる何かを持っているっていうのであれば、「まあ、利用しても良いんじゃないか」というのが、僕の考えなんですね。

そして、それに対して周囲がとやかく言うっていうのも、変な話だな~って思うんですよね。

たまたま、その人はそういう親の下に生まれたんだから、それを利用してるだけの話であって。

別に、それは悪さをしてるわけじゃないですよね。

それを「ズルい」という風に感じる人もいるかもしれないんですけど、コントロールできないことによってラッキーなものが手に入ったっていうのは、責められてもちょっと困りますよね。

責めても仕方がない話かな~と思います。

でもですね。

例えば、会社で自分は一生懸命頑張って、もうちょっとで課長になれるっていうところで、なんか知んないけど社長の息子さんがポンと、そのポジションにやってきたという風になると…

これはですね、「何か、ズルいんじゃないか」って思う人がいるかもしれないですね。

自分事になると、そういったことっていうのは突然クローズアップされるのが、世の常なわけなんですけど。

”じゃあ、これズルいのか?”と言うと…

単にその息子さんとやらは、親の力というのを利用するという、その方法によって、そのポジションを手に入れたのであって。

「そこで、成功するかどうか」ってのは、全く別問題なんですね。

更に言うと、「課長になる・ならない」というところに関する競争には負けたかもしれないけれども、”じゃあ、人生で負けたのか?”と言うと、別にそういうわけじゃないと。

もっと言うと、その息子さんが課長としてうまくワークできなかったとしたら、自分のところにポジションが回ってくるかもしんないですね。

つまり、時系列上、後回しになったということなんですけど。

これがですね、意外と受け入れづらいんですよね。

これは、気持ちわかるんですけど。

「何で、自分が後回しになるんだ?」「何で、次の機会になるんだ?」っていうのはですね、メチャクチャ腹立たしいことなんですね。

僕も、この経験ありますし。

「何で、アイツの方が先なんだ?」っていう風に思うような事態も、若い頃にはあったわけなんですけれども。

今はですね、全然そういうことに、何にも感じなくなりましたね。

というのも僕、基本的に全部遅咲き系なので、何もかも時間かかってたんですね。

今年53ですけれども、今となってみると、いろんなものが噛み合っていって。

そして、「年齢っていうのは、あんま関係ないな」っていう風に思ってますし。

そして、僕の友達と言える人達っていうのは、ほとんど年下ですし。

だけど、その中でフラットであるという風に思った途端にですね、「先だ、後だ」っていうのは瑣末事になるんですよね。

たしかに、自分の方が先に生まれたのに、なんか知んないけど、外部的なポジションだと自分の方が下だっていうのは、腹が立つとか、悔しいとかっていう気持ちを持つのも自然なことかもしれないですけど、しょうがないですよね。

与えられた状況の中で、自分ができることをやった結果としてそういう風になってるんだとしたら、「これはまあ、しゃあない」という風に受け入れる以外の方法は、ないんですよね。

ですので、ここでですね、他人を羨むとかいうところに、自分の貴重な貴重な脳みそのリソースとかを割いてしまうと、時間がムダになるんですよね。

嫉妬というのは、人にとっては自然な感情ではあるんですけれども。

ただ、キリスト教の教えの中では、「七つの大罪」というものの中に一つ含まれるぐらいなので。

要するに、人生においては、陸なことにならないぞっていうのは、昔から言われていることでもあるんですね。

自然なことなんだけれども、陸なことにならないと。

であれば、陸なことになるようなことにですね。

なんか、ちょっと日本語変ですけれども(笑)

良いことにつながるところに、最大限自分のリソースっていうのを振った方が良いんじゃないかな~と思うんですね。

ということで、親の七光というものを利用する人に対して「ズルいズルい」と思う暇があったらですね、自分を磨くという方に時間と体力を使った方が良いということになるわけですよね。

で、そもそもなんですけど。

与えられた状況がラッキーっていう意味で言うと、いろんな人がいろんな形でラッキーなんですよね。

そのラッキーであるっていうことを見つけるかどうかっていうのも、人生豊かにする上では非常に大事なんじゃないかな~と思うんですよね。

僕は、昔々ですね。

大学時代、非常に周りにですね、お金持ちだったりとか、名家の出身だったりとかする連中が多くてですね。

そして皆、大学のすぐ近く。

あるいは、都内の非常に素敵なところに実家があったり、あるいは、一人暮らししたりしてるっていうのが、いっぱいいたんですね。

そして、僕は千葉県の方に住んでいたんで、家が遠かったんですよね。

それで、「良いな、良いな」って、すっごい思ってたんですけど。

今思うと、メッチャこんなの誤差なんですね。

そして、千葉県に住んでいたので、某ベイエリアにあるですね、テーマパークの方でアルバイトに勤しむことができて。

結果的には、そっちの方が、僕の学生時代よっぽど価値のある時間になったということもあるわけです。

なので、自分は東京に実家がないとかですね。

一人暮らしはできるような財力がないっていうことがアンラッキーだったのかという、そっちの方にフォーカスをしてしまうのか。

それともですね、すごく良い人間関係を作ることのできた千葉県に住むことができたって思うのかってこれ、完全に自分の意思の問題になるわけですね。

そして、後からでもこれ、良いと思うんですね。

その当時は、そういう風に思わなかったっていうのも、事実として受け入れて良くって。

そして、後で振り返ってみると、”結果的に、僕は千葉県に住んでいてラッキーだったな”っていう風に言えばいいだけの話なんですね。

その当時、都内に住んでいたとか、実家そこにあったっていうことと、今その人達がハッピーなのかって、相関関係全くないんですよね。

そして、僕は学生時代の仲間達が今どういう生活をしてんのか、ほとんど知らないですけど。

何人かは、今でも接点あるんですけどね。

”じゃあ、圧倒的に僕が羨ましがるような人生歩んでる人いるのか?”って言うと、知らないですし、興味もないと。

なぜかって言うと、僕は結構今ハッピーなので、他の人がハッピーかアンハッピーかとかっていうのも、全然興味を持たないんですね。

「それぞれが、それぞれの人生豊かに暮らしてれば良んじゃん」ぐらいにしか思わないということになるわけです。

ということでですね、他人を羨むぐらいだったら、まず自分の持っているもので、どこが素敵なのかっていうことをしっかりと観察するっていうのが大事かなと思うんですよね。

そして、必ず何かしら、ちょっとしたことでもラッキーなとこってあると思うんですよ。

人よりも体が丈夫だとかですね、昔っから足が速いとかですね。

あるいは、出かける時にいっつも派手だとかですね?

そんなんでも、良いんですよ(笑)

そういうことで、自分はラッキーな人間だっていう風に思えるかどうかっていうのがこれ、すごい重要だな~と思うんですね。

僕は、元々ネガティブ思考な人間だし、自己肯定感も低いんですけれども。

だけど、やりようによってはですね、「自分は、結構ラッキーかも」っていう風に思うことはできるんですよね。

ほんとに、自分の選択の仕方次第なので。

僕は、もう今は「あ、自分は結構ラッキーな人間だな」って思うようになり。

結果的にですね、幸福度爆上がりしてるんですよね。

僕よりお金を稼いでいる人もいるし、僕より社会的地位や知名度が高い人なんていうのは、いっぱいいますけれども。

羨んだって、しゃあないし。

僕は、「僕の人生が結構ラッキーじゃん、満たされてんじゃん」っていう方に目を向けるのに忙しいんですね。

ですので、できればですね。

これを機に、あなたもそんな風に、自分の中に潜むラッキーなことっていうのに目を向けるっていう習慣づけっていうのをしても良いんじゃないかなと思います。

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