今日は誕生日!「祝う」について考えた!

人に好かれるセリフ
「その話、前にも聞きました」⇒「それは○○の話ですよね、面白いですよね」

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このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1512回を、文字起こし・編集したものです。

【1512回】今日は誕生日!「祝う」について考えた! | 澤円「澤円の茶話会ラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「澤円」の「【1512回】今日は誕生日!「祝う」について考えた!(2022年5月10日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

「祝う」アップデートする考え方

今日はですね、誕生日なんですよ、僕。

誕生日って知ってます?

年に一回しかないんですよ?

だよな?

自信なくなってきた。

たぶん、年に一回なんですよ。

なので、5月10日ということで、53歳になりました。

ありがとうございます。

ということでですね、今日はどこで録っているかって言うと、武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部の通称”職員室”、研究室で録ってるんですけどね。

周りに教員とか、僕らの事務をしてくれている方々と一緒に、過ごしている状態なんですけど。

ほんとにですね、今日メチャクチャ嬉しくってですね。

教員仲間の人達が、プレゼントをくれたりとか。

なにしろ、さっきまで講義してたんですけど、”講義始まるよ”って言って、最初の挨拶した途端にクラッカーが鳴って、皆で歌、歌ってくれて。

で、なんか可愛い帽子までプレゼントしてくれて、もう最高ですね。

ほんとにもう、このまま昇天しても良いぐらいの感じなんですけど。

もうちょっと、この世に用事ありますんで、まだ当分生きてますけどね(笑)

ということで、もう最高の誕生日を迎えたわけなんですけれども。

なんか今まで誕生日で、すっごい楽しかった思いって、あんまり大人になるまでないんですね。

子供の頃、それなりにちゃんと祝ってもらってたと思うんですけど、あんまり「すごい楽しかった~」とかっていう思い出なくって。

たぶんですね、受け取り方の問題だと思うんですよね。

例えば、前にVoicyでも、ちょっとお話したと思うんですけど。

僕、春っていう季節が、ちょっと苦手なんですよね。

季節としてはすごく良い、過ごしやすい季節であるにも関わらず、自分が快適に過ごせないっていう、どうしてもそういう印象があって。

これも、受け取り方次第なのかな~って感じがするんですね。

自分の誕生日も近いし、すごく良い季節であるはずなんだけれども、あんまりそれを楽しめなかったのが。

ここ最近ですね、結婚したり、なんなりして、環境が変わったおかげで、結構楽しく過ごすことができたという感じなんですね。

ちなみにこれ、研究室で他の人達が聞いてる前で、こんな話をして。

「なんで、自己開示をここまで人前でしてるんだ?」って感じなんですけれども(笑)

で、自己開示し終わったところでですね。

せっかく職員室にいるので、ちょっと”何、訊きたいか?”って周りに訊いたらですね。

”澤は、どのような気持ちで、他の人を祝うのか?”っていうお題を頂いたんで、そのことについてお話しようかな~と思うんですけど。

実はですね、僕、プレゼンテーションっていうキーワードで言うと、プレゼントですよって、あっちこっちで言ってると思うんですけど。

僕、人を祝うとか、人に何かを贈るって、大好きなんですね。

そして、昔っから、まあまあお金持ちになりたいな~っていう風に思ってたんですけど。

これ、理由は非常に簡単で、他の人に対して、何か奢りたいんですよね。

何かご馳走したりとか、困ってる人を助けたいとか、そういうことをしたいな~と思っていて。

その為の力として、「お金があると、それできるんじゃないかな?」って、漠然と思っていた節があるんですよね。

なので、お金持ちになりたいっていうのが、自分がすごい贅沢したいとかですね。

何か権力を手にしたいとかって言うよりは、誰かに何かをご馳走したいとか、何か喜んで欲しいとか、そういうお金の使い方をしてみたいな~っていう風に思っていた。

「それって、メッチャ良い奴ぶってね?」って思うかもしれないですけど、良い奴ぶってます(笑)

それは、間違いないですね(笑)

っていうのも、良い奴でありたいというのが、結構僕の根本の部分にあるのかな~と思うんですよね。

人にとって、良い存在でありたい・良き存在でありたいっていうのが、たぶん僕のアイデンティティというか、ベースの考え方になっていて。

そう考えると、祝うというのは、まさにそれに適している一つの行動なのかな~と思うんですよね。

そう考えると、人の誕生日を祝うとかですね。

あるいは、何か成功した人を祝うとか。

そういう、お祝いをするっていうこと、僕すごく好きでですね。

祝われるのも、もちろん嬉しいんですけれども、誰かを祝うというのは、僕としては非常に嬉しいことなんですね。

なんで、結構カミさんの誕生日をお祝いするとか。

あるいは、結婚記念日なんかをお祝いするとか。

そういうのっていうのは、僕すっごい好きなんですよね。

なんで、人を祝うというところは、まさに僕の根本の部分に関わる話かな~という風に思うんですね。

ちなみに、この祝い方っていうのを考えてみるとですね。

「どんな風に、祝えば良いのか?」と。

これ、「自由に祝えば、良いじゃん」っていう話なんですが…

一番は、どんだけ相手に対して、気持ち向けられるか。

これって、結構大事だな~と思うんですよね。

つまり、何をあげれば良いかという風に、物の方から考えるんじゃなくって、その人がどういう状態になったらハッピーなのかというのを想像する。

これって、すごい大事だな~と思うんですよね。

そして、場合によってはですね。

それ、相手が全然気付いてないと言うか、自分でもわかってないかもしれないんですよね。

なので、”あなたには、こういう良いところがあるから、それをこうやって伸ばせば良いんですよ”というのがベストだと思うんですよね。

例えば、時々あるのが…

洋服とか、アクセサリーとかで、本人はもしかしたら選ばないかもしれない物っていうのを、試しにプレゼントするとかっていうのは、結構良いお祝いになるんじゃないかと思います。

あるいは、体験でも良いと思うんですね。

まず、そういうことは普段、自分しないだろうな~っていうことを、体験として提供するっていうのも、お祝い事としては、すごくプラスになってくるかな~と。

汎用的に、ただ金さえかけりゃ良いってもんでもないんですよね。

あくまでも、やっぱりベースになってくるのは、体験の部分の方で。

そういった体験とか、その後にどういう風に、幸せな気持ちが続くのかっていうところを想像してですね。

プレゼントをすると、すごく良いんじゃないかなという風に、僕は思うわけです。

人を祝うっていうのは、ほんとにですね。

その人が、ハッピーであることを増幅するっていう風に捉えると良いと、僕は思うんですね。

”誕生日は、もはや喜ぶことではない”っていう風に言う人も、いるかもしれないんですけど。

年齢がカウントダウンされることも、ないですからね。

気持ちでカウントダウンするっていうのは、ありかもしれないですけど。

年齢は、必ず重ねるものなので。

そしてですね、生まれてきたからにはですね、楽しんだ方が、絶対損はないわけですよね。

生まれてきちゃってるわけだから、死ぬまで人生続くわけで。

「じゃあ、それまでの間を、如何にして楽しむか?」っていうのが、人生の有り様だと。

僕の場合だと、”人生っていうのは、基本的に大いなる暇つぶし”って呼んでるんですけれども。

暇つぶしなんだから、楽しい方が良いですからね。

なので、「楽しいという時間を最大化する為には、どうすれば良いか?」って考えるのが、それぞれの人生であると。

そうなると、誕生日っていうのは、一つの良いきっかけになりますので。

誕生日を祝うっていうのはですね、その後のその人の人生っていうのを、より一層面白いものにする為のきっかけを提供する、っていう風に考えることもできるわけですね。

なので、「ただ単に、年齢がカウントアップされましたよ」っていうことを祝うというよりは、更にその先続くっていうことの、一つの節目と言うかですね。

便宜上の、数値の加算ということになるんですけれども。

ただ、それを祝うきっかけが提供されたという風に考えると、これはなかなか味わい深いんじゃないかと思うわけですね。

あと、誕生日に限らずですね。

人と会話をしてる最中には、「この人を、どうやったら祝えるか?」って考えて、その人と付き合うっていうのも、もしかしたらアリかもしれないですね。

そうすると、自分が好きな人とか、興味のある人を、たぶんもっともっと深く観察すると思うんですよね。

そしたら、その観察した結果として、「あ、これは、お祝いに値するぞ」という風に思ったら、何かのお祝いの気持ちというのを、どんどん出していけば良いと。

で、相手は、そのつもりが全然なくっても、祝われてすごく迷惑がる人って、そんなにいないと思うので。

少なくとも、人間関係がちゃんとできている相手であれば、喜んでもらえると思うので。

そういった形で、自分の気持ちというのを伝えると、良いんじゃないかなと思うわけですね。

あと、お祝いするっていうのと、感謝するっていうのは、結構良いセットになるかな~と思うんですけど。

感謝している相手お祝いするのって、結構気持ち良くないですかね?

なので、「この人、好きだな~」と思ったら、「その人にどうやったら、”ありがとう”言えるかな?」って常に思っておくっていうのは、結構お祝いをするタイミングを逸しないで済むような気がするんですよね。

そしたら、その人に起きたちょっとした出来事っていうのを、全部お祝い事に変換するっていうこともできたりするんで。

「あ、この人、好きだな~」「そしたら、”ありがとう”って言えるようなタイミングとかないかな~?」っていう風になったら、その”ありがとう”の延長線上にある”おめでとう”って言うとですね。

非常に、お祝いがしやすくなるというメカニズムが出来上がるんじゃないかな~と、今ちょっと思いつきました。

今日はですね、たぶん僕は、一年に一回、一番”おめでとう”って言われる日なので。

時々ね、見た目が見た目なので、クリスマスに僕に”おめでとうございます”っていう人いるんですけど。

それは、違いますからね(笑)

それ、別の人ですからね(笑)

あくまで、僕は5月10日生まれなんですけれども。

ほんとに、今日はですね。

いろんな人に”おめでとう”って言われて、非常にご機嫌なので。

僕は如何に、いろんな人に”おめでとう”って言えるかというのが、これからの僕の人生のテーマになってくるのかな~なんて、思ったりもしております。

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