違いは違いであって、間違いじゃない。

人に好かれるセリフ
「○○させていただきます」⇒「○○いたします」

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このページは、Voicy「幸せ応援ナースのラジオ」#185を、文字起こし・編集したものです。

#185 違いは違いであって、間違いじゃない。 | 中村綾|株式会社nicott広報「中村綾のニコット広報チャンネル」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「中村綾|株式会社nicott広報」の「#185 違いは違いであって、間違いじゃない。(2022年3月6日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

何が正義かなんて分からないけど、相手を思いやる気持ちが大事なのかなと思う。

本日はですね、「違いは違いであって、間違いじゃない。」ということでね。

今はね、ロシアとウクライナの戦争のこともありますしね。

いろんなことがありますね、嬉しいことだけではなくて。

ニュースを開けばね、ネガティブなことが、たくさんたくさんありますけれどもね。

ほんとに、違いは違いであって、間違いじゃないし。

何が正義なんて、わからない世の中ですよね。

そして、価値観もね、皆違うから。

皆それぞれがね、自分なりの正しさとか、自分なりの思いやりとか、正義とか。

いろんなものをもっていらっしゃる、と思うんですよね。

それは、自分らしさでもあるだろうし。

誰かの価値観に押し付けられてとかね、誰かに強要されて生きるものではない、と。

もちろん、私は、思っております。

でも、生きやすくするための社会のルールみたいなね。

嬉しいことされたら、”ありがとうございます”って言いましょうとかね。

悪いことしちゃったら、”ごめんなさい”って言うみたいな。

それが「当たり前か」って言われたら、当たり前じゃない人もいるかもしれないけれども。

そういうことはね、大切にしていきたいな、と。

私自身も、思っているし。

”ありがとう”の連鎖とかね。

そういうことが、広がっていくと良いな、っていうのは、すごく思っているんですけれども。

やっぱり、何か物事を進めていく時とかに、自分なりの正義とか、「これが正しい」とか、「これは違うんじゃないか」とかって、思う時ってある、と思うんですよね。

多少なりともね。

でも、それも含めても、根底に相手を想う愛情だったりとか、相手を信じる気持ちとか、信じたい気持ちとかね。

そういうところの気持ちをね、忘れずにいたいな、って思うんですよね。

やっぱり、私も、37年生きてきたし。

私は、福岡で生まれて、東京と大阪で育って。

弟が二人いて、とか。

母親は専業主婦で、父親は設計士で、みたいな感じでね。

私っていうこの人生は、私にしか描けていなくって。

それは、これを聴いてくださっている皆様も、そうで。

皆それぞれに、その方にしか歩めない人生があって。

たくさんの物語がある、と思うんですよね。

だから、言葉の違いだけではなくて、考え方の違いとか、価値観の違いというのは、絶対的に、あって良い、と思ってるんですよ。

で、正解は、たくさんある、と思っていて。

その時その時によって、見方が変われば・状況が変われば、何が正解か・何が正しいかなんて、変わっていくだろうし。

その時の正解だってね、成功だって、何が正しいとかなんて、別にわからない、と思うんですよね。

でも、その瞬間瞬間に、お互いが気持ち良く、良い形でコミュニケーションができていく。

それって、自分からしていかなきゃいけないのかな、って思ったりするんですよね。

自分が、例えば”好き”って言っても、相手が好きじゃなかったら、それはね、ただの片思いであってね。

恋愛で言うなら、成り立たないのかもしれないけれども。

日々、いろんな方とコミュニケーションしていく中で、私にも私の事情があるし、相手にも相手の事情があるし。

お互いに、それぞれ抱えているものが違うし。

だから、意見がぶつかると言うか、違うことも、もちろんあるし。

だからこそ、歩み寄る姿勢っていうのが、大事だし。

その中には、根底として、「違いは違いであって、間違いじゃない。」っていうところを、お互いが、理解しておく必要があるし。

信頼関係があれば、ちょっと厳しいことを言っても、その中に愛があれば。

伝わるものって、たくさんあるんじゃないかな、って。

ほんとに、思うんですよね。

だから、もしね、人間関係とかいろんなもので、悩んでる方。

今一度ね。

私も、自責してしまうタイプだけれどもね。

起こった出来事が、喜怒哀楽とかをさせているわけではなくて。

起こった出来事を、自分の脳内で整理をしてね。

「これは、悲しい感情だな」とか、「これは、嬉しい出来事だな」みたいな感じで、フィルターを通して見て言ってる、と思うんですよね。

私が、川原卓巳に頂いた課題図書の中にですね、「グラッサー博士の選択理論」という本があるんですけれども。

外的コントロールと、内的コントロールの話があって。

全て自分でね、選んでいると。

思考も、行動も、選んでいるんだよと。

起こった出来事は、出来事でしかなくて、事実でしかなくて。

それを、どういう風に自分が受け止めて、どういう感情を発生させているのか。

そういうコントロール自体も、できているんだよっていう内容だったかな、と思うんですけれども。

違ったら、卓巳さんに怒られちゃうかもしれない(笑)

まあ、怒んないな、卓巳さんは(笑)

違うかもしれないけれどもね。

ほんとに、その通りだな、って思うんですよね。

これって、長年蓄えられてきた思考の癖・無意識のものであったりするのでね。

「それを、変えていく」っていうのはね、並大抵のものではないですよね。

でもね、一生懸命変わりたいとか、やりたいとかって、思っていれば。

そういう風に変わっていけるんじゃないかな、って思ったりもしているので。

一生懸命ね、頑張っていこうかな、と思うんですけれどもね。

ぜひ、「違いは違いであって、間違いじゃない。」っていうね、この言葉。

ほんとに、多くの方に知って欲しいな、って。

知っているかもしれないし、初めて聞いたって方も、いるかもしれないけれども。

この言葉って、すごく素敵だな、と思いますのでね。

シェアしたいな、と思いました。

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