身近な人には厳しくなりがち問題。

人に好かれるセリフ
「それはやめたほうがいい」⇒「私はこういう理由で、こうしたほうがいいと思う」

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このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1480回を、文字起こし・編集したものです。

【1480回】身近な人には厳しくなりがち問題。 | 澤円「澤円の茶話会ラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「澤円」の「【1480回】身近な人には厳しくなりがち問題。(2022年4月8日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

子育て中の方々の悩みは深そう

昨日の放送にはですね、結構たくさんコメントが付いたんですけれども。

その中で2つ、非常に似ているコメント、あと質問みたいなものがありましたので。

まずはですね、そちらを紹介したいな~と思います。

まずはですね、つららさん。

(つららさんのコメント)
他人を褒めること、大切な事だと改めて認識しました。
私は元々他人を褒めることがとても苦手です。
しかし褒めることが良い結果につながると思い、職場ではできることから少しずつ褒めるようにしています。
ですが、家庭内ではそれができません。
すぐに相手の欠けているところを指摘してしまい、相手を落ち込ませてしまうことが多々あります。
その後またやってしまったと反省はするのですが、ふとした時にまた繰り返してしまいます。
澤さんの奥さまのように、家庭で褒めるようになるには何から始めると良いでしょうか?

っていうコメントと、もう一方、ゆみゆみさん。

(ゆみゆみさんのコメント)
はじめてコメントします。
いつも気付きや学びを本当にありがとうございます。
今回のお話は子育てにも通じると思います。
できてない所を指摘するより、できてる所を褒めるのがいいとわかっていても、
ついつい謙虚さが欠けて脅しやネガティブな言葉で子どもを動かそうとしてしまいます。
そして自己嫌悪の繰り返しです。
どのようなマインドでいれば奥様のように褒め続けることができるのか教えていただきたいです。
夫にも同じで身近な人には難しく感じます。

ということなんですけれども。

カミさんには、別途インタビューの機会、作ろうかな~と思うんですけれども。

今日は、僕の頭の中だけで、考えたお話をしたいと思います。

これですね、「アンガーマネジメント」という一つの考え方があるんですけれども。

その中でもですね、「怒り」という感情は、身近な人に対して強く出やすいっていうのが、もう明確に定義されているんですね。

だいたい、そんなもんですよね。

というのも、「身近な人だと、自分の思い通りになりやすいだろう」っていう、どっかしら期待が入るんでしょうね。

特に家族なんかだと、「同じ家に暮らしてるぐらいなんだから、同じことを考えているに違いない」とかですね。

「同じ価値観を、共有してるに違いない」とかっていう期待と、決めつけみたいなものっていうのが起きやすいんじゃないかな~と思うんですよね。

これはもちろん、個人差はあるとは思うんですけれども。

思考の中で、そういう傾向が出やすいっていうのはこれ、人類に元々プリインストールされている、一つの特徴なんですよね。

ですので、「もう、そういうもんだ」と。

まずは、受け止めるっていうのが大事かなと思います。

つまり、近い人間には、ついつい厳しいことを言ってしまったりとか、自分の意に反することをしたりとか言ったりとかすると、すごく強く反発したくなるっていう。

「それは、自然なことなんだ」っていうのを受け止めるというのが、まず大事かな~と思います。

やっぱりですね、我々夫婦も、仲は良いとは思うんですけれども。

それでも、なんかぶつかることって、あるんですよね。

「同じ価値観を持っているわけじゃない」ってわかってるんだけれども、なんかどっか期待していて、「なんで、こうやって考えてくれないのかな?」って思うところ、あるとは思うんですね。

ただ、夫婦っていうのは、他人ですから。

元々他人が出会ってですね、「こりゃ、一緒に暮らしても良いぞ」と思うんで、結婚っていう手続きをするわけなんですけれども。

元々他人ですからね。

そう考えると、価値観が違うとか、考え方が違うとか、向いている方向が違うとかっていうのは、全然自然な話だと、僕は思います。

それに、結婚の場合であれば、「こりゃ、価値観合わないぞ」ってなったら、離婚するっていう手段がありますからね。

まだこれは、どうにか解決のしようもあるかと思うんですが、親子ってなると、また別問題なんですよね。

そして、我々は子供がいませんので。

これはですね、自分が子供である体験しか、持っていませんと。

ですので、片側の視点しか持っていないので。

ともすれば、無責任な物言いになるかもしれないんですけれども。

ただ、僕はこれ、決めつけるつもりもないし、「こういうことなんじゃないか」という僕の所感を、ちょっとお話したいと思うんですが。

お子さんもですね、やっぱり、自分が育てているわけで。

それも、何にもわかんない時からずーっと面倒見てるんだから、「自分の考えっていうのは、しっかりとインストールされているだろう」っていうのが、期待値としてあるんじゃないかと思うんですよね。

なにしろ、子育てって、めっちゃ大変ですからね。

すっごい、手がかかるし。

僕なんかも、めちゃくちゃ手がかかるガキだったと思うんですけれども。

ほんとにですね、「よくこんなもんに、ちゃんと飯食わして育てたな~」と思うんですが。

ただ、そういう風に世話を焼いたから、親の言うことを全部聞くかとか、親が考えていることっていうのを全部正しいとして受け止めるかって言うとこれ、全く別問題なんですよね。

子供であろうと、何だろうと、他人ですから。

もちろん、完全に血縁のない人と比べれば、ある程度の共通項とか、遺伝的なものっていうのはあるかもしれないんですけれども、他人であることには変わらないんですよね。

もう、別個の人格を持っている生き物ですから。

これは、共通しているところに期待をし過ぎないっていうのがこれ、すごい重要なんですよね。

”何をすれば、良いですか?”・”どうすれば、良いですか?”というような問いに、なっていると思うんですけれども。

非常に重要なのはですね、やめることなんですね。

相手に、自分と同じ考えを持っているということを期待するのをやめる。

あるいは、それを強要するのをやめるというのが、すごく重要かな~と思うんですね。

そして、これは意志の問題です。

「難しい」と感じたり、「つい、やっちゃう」っていう風に感じたりするかもしれないんですけれども、それを止められるのは、方法論ではなくて意志なんですね。

意志を持たないと、いつまで経ってもですね、絶対これ、同じことの繰り返しになるんですね。

もうほんとに、意志なんですよ。

「え、精神論なんですか?」「根性論なんですか?」という風に、お思いになるかもしれないんですけど、やめるというのは、意志以外の何物でもないんですよね。

例えば、タバコをやめるというのもこれ、まず意志なんですよね。

「タバコをやめるぞ」という意志がなければ、よっぽどですね、環境を整えない限り、タバコをやめるっていうことはできないんじゃないかなと思うんですね。

タバコが絶対手に入らない地域に、放り込まれたりとか。

例えば、刑務所に放り込まれるとかですね。

無人島に流されるとかでなければ、タバコというのは、通常の都市生活を送っていたら、だいたいどこでも手に入るわけですよね。

そうなると、タバコを購入し、それを吸うということをしないっていうのはこれ、意志の問題になります。

まず、意志を持つこと。

そして、その意志を持った上で、いろんな方法を試すというのが大事かなと思うんですよね。

方法が先、じゃないんですよね。

意志の方がまず先で、意志だけだと難しいので、いろんなツールを使ったりとか、様々な方法論っていうのを試すというのが大事なんじゃないかな~と思うんですね。

ぼんやりと、「やめられたらいいな~」っていう風に思っていて、なかなかやめられないっていうのであれば、これはもう方法論の問題じゃないんですよね。

あくまでも、そこまで強くやめなければならないっていう意志がない可能性があるんですね。

だけど、これを突き詰め過ぎてしまうと、めちゃめちゃ自己嫌悪になってしまいますので。

「自分は、もう意志がある」という風に思うことができたのであれば、様々な方法を試すと。

これ、自分にその意志が本当にあるのかどうかっていうのを問いかけてみて。

それに胸を張って、「間違いなく、私には固い意志がある」っていう風に納得しない限りにおいては、何やってもムダだというのが、僕の持論です。

意志だけで、何もかもうまくいくわけじゃないんですけれども。

意思なきところに方法論だけあっても、それほど効果はないというのが、僕の考えなんですね。

なので、まず自分にその意志が本当にあるのかどうかというのを、ちょっと考えてみて欲しいな~と思います。

そうしたらですね、「自分には、意志があるぞ」って言ったらこれ、「弱い・強い」は、あんまり気にしないでも良いです。

「うまくいかないのは、自分の意志が弱いからだ」って言って落ち込み過ぎちゃうのもこれ、逆効果ですから。

まず、「自分には、意志があるぞ」「これは、自分に嘘ついてないぞ」っていう風に思ったら、片っ端からいろんなことを試していくということなんですよね。

ほんとにこの、「意志を、自分に確認する」というプロセスを抜きにして方法を探すっていうのが。

これが、一番意味がないと言うか、結果的に効果が出づらいんじゃないかな~と思うんですね。

子育てっていうのは、ほんとにですね、イレギュラーなことの連続でしょうし。

コントロールできないことが、毎日起きるでしょうし。

だけど、「子供を作って、育てるぞ」という風になったのは、多くの場合はこれ、意志の問題かなと思うんですね、これまた。

「子供を産んで、育てるぞ」と。

もちろん、望まない妊娠・出産というのが、この世にあることは重々理解した上で、お話はしています。

それは例外的に、ちょっと今回は置いておいて。

自分の意志で「子供を産んで、育てるぞ」となったんだとしたら、「自分の子供に、期待し過ぎるのをやめる」「同じことを考えて欲しいと思うのをやめる」という意志を持って欲しいんですね。

その上で、できる限り褒めるということにフォーカスをするっていうのが、大事かなと。

そして、褒める方法っていうのはもう、いろいろあると思うんですけれども。

見つけるアプローチとか、言語化の方法とかあるんですけど。

まずはですね、自分自身に問いかけて。

その上で、方法を探すという。

この順番を間違えないようにするっていうのが、何より大事なんじゃないかと思います。

繰り返しになりますが、僕、子供がいないので。

もしかしたら、非常にですね、無責任な意見に聞こえるかもしれないんですけど。

いないなりに、僕が考えたお話をさせてもらいました。

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