マイノリティであることのススメ。

人に好かれるセリフ
「悩みがなさそうだよね」⇒「いつも元気そうだね」

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このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1496回を、文字起こし・編集したものです。

【1496回】マイノリティであることのススメ。 | 澤円「澤円の茶話会ラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「澤円」の「【1496回】マイノリティであることのススメ。(2022年4月24日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

マイノリティを辛さとつなげなくてよい

昨日の夜はですね、すごく良い映画を観ました。

タイトルは、「イミテーション・ゲーム」っていう映画なんですけれども。

主演がですね、ベネディクト・カンバーバッチさんという、結構変わった名前の役者さんなんですけれども、非常に雰囲気のある役者さんで。

演技もメチャクチャうまくて、僕は大好きなんですけどね。

その人が主演で、ストーリーはですね。

第二次大戦中のイギリスにおける、暗号解読をした天才数学者アラン・チューリングの生涯を描いた映画なんですけれども。

すっごい、面白かったんですね。

まあ、天才にありがちなですね、人付き合いがうまくいかないとかですね。

いろいろ問題を起こすとかっていうのも、描かれてたわけなんですけれども。

やっぱりですね、天才なんですね。

そして、最終的には歴史を動かすようなことをするんですけれども。

ちょっとネタバレになるのも野暮なので、これぐらいにしておきますけれども。

その中で、すごく大事なポイントというのを、ちょっとお話をすると…

その人は、マイノリティなんですね。

これ、Wikipediaにも書かれてますし、有名な話なので、もう言っちゃいますとですね。

アラン・チューリングさんっていうのは、LGBT。

ゲイなんですよね。

アラン・チューリング - Wikipedia

そして、それによっていろいろと辛い目に遭ったっていうのが、映画の中でも出てきますし。

これはですね、エリザベス女王が最終的には「ごめんなさいね~」っていうことで、特別恩赦っていうのを与えたっていうのが有名な話なんですけれども。

その当時っていうのは、イギリスは、もうとにかく同性愛っていうのが、メチャクチャ厳しかったんですね。

メチャクチャ厳しいどころの騒ぎじゃなくて、犯罪扱いになってたって…

今考えると、とんでもないことなんですけれども、数十年前は、そういう世界観だったんですよね。

性的マイノリティというのは、迫害されて当たり前という世界だったということなんですね。

今はですね、そういったことっていうのは、大分なくなってきていますし、「そういうことを、許しちゃいけないよ」というのは、世界の常識になりつつあるわけなんですけれども。

まだまだ不十分っていうところ、ありますよね。

ちなみに僕は、LGBTQ文脈で何かの情報発信をするっていうことは、基本的にしません。

ちょっとこれ、いろいろと考えることがあって。

僕は、そういったことに対して、何か声高に主張するとかですね。

それに対して、強い意見を言うとかっていうのは、しないことにしています。

ただ、そういった人達を、何も言わずに受け入れるという立場を取ろうっていうのが、僕の中の決め事です。

そして、マイノリティであることというのは、「もし、自分自身がそれを意識したんだとしたら、むしろ強みに切り替えていった方が得だよな」って思うタイプなんですね。

ただ、これをですね、”LGBTQの人達”っていう風に大きい主語で言ってしまうと、あれやこれやと、ややこしいことになるんで。

ですので、”僕は、情報発信しない”という風に言ってるんですね。

ただ、僕自身が、いろんな場面でマイノリティになりがちな人間なので。

僕の場合ですけれども、「強みにしよう」。

もしくは、それによって、”美味しいポジション”っていう風に言うと、語弊がありますけれども(笑)

「ユニークなポジションは、取りやすいよな~」っていう風に思っていて。

それを生かすとですね、「いろんな得をすることが、多いな」って思うんですね。

これ、どういうことかって言うと…

僕の場合だと、通常であれば、普通のサラリーマン・ビジネスパーソンだったわけですね。

今ちなみに、TVとか、メディアとかで「サラリーマン」っていう言葉、使わない方が良いみたいなんですけどね。

これ、制約を受けてるんですけど。

まあ、男性に限定されているという、そういうイメージなのかな~と思うんですけどね。

なので、ビジネスパーソン。

要するに、企業人だったわけなんですけど。

そして尚且つ、法人営業部隊にいるような企業人だったにも関わらず、長髪なわけですね。

これだけで、結構なマイノリティ度合いだったわけですよね。

例えば、エンジニア界隈であれば、文系出身のポンコツということで「能力が低い」という、ある意味マイノリティと。

正確には、マイノリティって言うのも、ちょっと違うかもしれないですけどね。

ただ、そのポンコツエンジニアであることと、人に対する説明能力が比較的高いということを組み合わせたことによって、ユニークなポジションを取れたという意味で言うと、マイノリティということもできるのかなと。

これ、定義と言うか、解釈ですね。

僕なりの解釈という風に、考えているんですけど。

ということで、マイノリティとか、多くの人の中にうまく溶け込めてないなっていうことは、その時には非常にしんどいし、「どうにかしたい」って思うかもしれないんだけれども。

何かの折にですね、すっごくプラスに働くこともあるというのを、今日のテーマにして話をしたいんですけれども。

正直、”100%、必ずそうなります”みたいな予言をするつもりはないです。

そういうタイミングが全く来ないで、すごく残念な時間が過ぎちゃう人もいるかもしれないんですけれども。

ただですね、マイノリティであるっていうことは、他に比較する対象が少ないということでもあるので。

それをうまく使うということを、ちょっと意識した方が結局、生きるの楽になるんじゃないかと、僕は思ってるんですね。

例えば、「自分がやってきたキャリアであったりとか、生まれた地域とかっていうのが、あんまり周りにいないぞ」っていうのであれば、それをストーリーにするということによって、人に語れる状態になるわけですね。

そうすると、面白がってもらえて、何かの時に思い出してもらえると。

そして、「あの人に、ちょっと頼んでみようかな~」とか、「あの人、ちょっと仲間に入れてみようかな~」って言う風に思い出してもらうっていうのが、マイノリティであることの一つの武器なんですね。

これは、マジョリティにいると、思い出してもらえないと言うかですね。

塊のなかから、何らかの理由で選ばれるということになるので。

僕は、なんとなく、それって確率が下がるという感覚があるんですね。

そのマジョリティの中で、何か頭角を現すっていうのは、競技人口がメチャクチャ多い中で、プロになるというような、そういう生き方になるんじゃないかと思うんですね。

その方がですね、場合によっては、すっごい年収が高かったりとか、社会的な評価が高かったりっていうこと、あるかもしれないですけれども。

そういう競争っていうので、勝てる自信がある人だったら、全然良いと思うんですけど。

「そういう自信、ないな~」「そういう形での生き方は、ちょっとしんどそうだな」って思うんだったら、敢えてマイノリティの道を突き進んじゃうというのもアリかと思うんですね。

そして、自分の中における、「ちょっとこれは、メジャーじゃないな」「自分の方が、少数派だな」って思うようなところがあったら…

それを、自分のユニークな能力とか、スキルとか、魅力とかっていう風に定義してしまって、そっちの方に思いっ切り舵を切ってしまうというのも、一つの生き方なんじゃないかと思います。

これほんとにですね、適性があると思うんで、全員やる必要はないと思うんですけれども。

なんとなく、「うまく、周りと溶け込めてないな~」とかですね。

「多くの人が取り組んでいることに対して、なんかうまく対応ができてないな~」とか思う人は、自分自身のルールを作っちゃうっていうことですね。

よくこれ、いろんな講演でも言ってるし、Voicyでも何回か、お話したことあると思うんですけれども。

競技人口が1人しかいない種目で、毎日金メダルを獲り。

そして、毎日、世界記録を更新するという生き方。

「そういう生き方も、ありますよ」というお話、何回かしたと思うんですね。

”マイノリティであるということは、実はこれができやすい”とも言えるわけですね。

いろ~んな面で、総合的に優れているっていうのは、もちろんすごい武器になることもあるんだけれども、「常に、多くの人と競争しなくちゃいけない」という側面もあるわけですね。

それが全然苦にならない人だったら、そのまま生きていけば良いと思うんですけど。

「なんか、しんどいな~」って言う風に思ったらですね、自分のユニークネスっていうところに目を付けて。

あるいは、”周りから見ると、あんた変わってるね”とか、”ちょっとそれ、おかしいよ”って言われるところを武器にするっていう風に、ちょっと戦略を変えるというのも、一つの生き方なんじゃないかなという風に思ったんですね。

昨日ですね、観てた中では、全然そういうことができない時代に生きていた、非常にしんどさみたいなものを、まざまざと見せつけられるようなシーンもあったわけなんですけれども。

今はですね、だいぶその辺が軽減されているということは、「利用しない手は、ないよな~」と思うんですよね。

僕もですね、マジョリティという観点で言えば随分生きづらい、いろんな特性を持っているわけなんですけれども。

ちなみに、僕のカミさん、もっといろんなマイノリティの要素、持ってますけどね。

ですけど、それはうまくすれば、ネタになるし。

それを武器にして、何かしらの活動をしようって思ったら、できなくはないと思うんですね。

もちろん、「そんなことをしなくっても、私は幸せに生きていますよ」という人は、この放送は全然気にしないで良いんですけれども。

「いや~、なんかしんどいな~」「なんかうまくいかないな~」っていう人は、「自分のユニークネスっていうことを、武器にしよう」。

あるいは、「それをうまいこと利用して、他の人とは違う、逆張りの人生っていうのを歩んでみよう」なんて思うのも、一つの方法かな~と思います。

こういうやり方をしようとするとですね、マジョリティ側にいる人達から、”あれやこれや”と言われるかもしれないんですけれども。

そうやって言われているということは、”自分が、ユニークなポジションを取れている”とも言えるので。

その辺をですね、どうやって自分で解釈するのかっていうのは、自分自身の選択ですからね。

ほんとに、自分で勝手に決めちゃって良いことなんじゃないかなと思います。

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