人に好かれるセリフ
「努力はしたのですが、不可抗力で」
⇒「申し訳ありませんでした、実はこういう状況でした」
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このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1498回を、文字起こし・編集したものです。
【かみさんの講義を見て再認識。】
今日の話は、たぶん以前にも何回かVoicyで、お話したと思うんですけれども。
やっぱ大事なことなので、今回も取り上げたいと思うんですけれども。
人は、必ず誰かに何かを教えることができるって話なんですね。
かのピーター・ドラッガーさんも、”学ぶのに最適な方法は、人に教えることだ”っていう風に言ってるんですよね。
人に教えようとした時には、まず自分が、それを理解していなきゃいけないですし。
それを言語化することによって、初めて他人に伝えられると。
それをしようと思う時点で、まず頭の中を整理していることになるので。
結局、自分自身の理解が、どんどん深まっていくわけですね。
そして、その理解がものすごく深まっているものというのを誰かに伝えると、必ずその人はですね、得るものがあるわけですね。
ですので、「何かを教えよう」と先に思ってしまうというのも、一つの手だな~って感じました。
そして、既に何か身に付いているはずなのに、それを教えていないんだとしたら、これは機会損失であるということですね。
今日、ちょっと体験したので、その話をしようと思うんですけれども。
今日は、我らが伊藤羊一さんが学部長を務めている、武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部の講義だったんですね。
僕が持っている講義は、「好奇心醸成」というタイトルなんですけれども。
いろんな形でですね、好奇心を刺激するような、そういった講義をやってるわけなんですが。
今回はですね、カミさんに登場してもらって、デッサンを教えてもらったんですね。
といっても、デッサンそのものを教えたって言うよりも、デッサンの手法を通じて、ちょっと僕がビジネス文脈に落としたりとかして話をするって、そういう感じだったんですけど。
最初ですね、”ちょっと、デッサンの手法を学生さんに教えてあげてくんない?”って頼んだら、”私なんて、教えられない”って、いきなり弱腰だったんですね。
一番最初は、そうだったんですけど、僕から見ると、メチャクチャうまいんですね。
そして、これは素人である僕の目からだけではなくって、実際に大学受験の為に通っていた、「すいどーばた」っていう有名な予備校があるらしいんですけれども。
そちらの方で、デッサンで描かれた自画像っていうのが、予備校に「これ、素晴らしい」ということで、購入されたらしいんですね。
そして、卒業するという時にも取り上げられたりとかしたっていうことなんで、プロの目にも、そうやって「素晴らしい」っていう風に映ってるわけですよ。
なのに、”教えてくれるかな?”と言うと、”私なんて…”とか言っちゃうんですね。
「あ、これは、なかなか奥が深いぞ」と思うわけですね。
要は、もう既にちゃんと身に付いているはずなのに、”私なんて…”という思考によって、教える機会というものを敢えて持たないとかですね。
「他に教えるプロがいるから、その人に任せよう」っていう風になっちゃう人も、結構いるかな~と思うんですね。
「これが、ダメだ」っていうわけじゃないんですけど。
もしかしたら、誰かに教えるっていうことを通じてですね。
すごく、大きなものが得られるんじゃないかな~って思うんですよね。
ただですね、今日実際に講義をしてもらったら、バカ受けでしたからね。
すっごく皆、楽しくやっていて。
そして、やっぱりですね。
僕と組んでやったというところもあって、デッサンを通じて。
例えば、見ている具体を描いていく。
更に、抽象度を高めていくと、別のストーリーに置き換えるっていう。
実際、生徒さんの中には、そこまで既に、本能的にやっている人なんかもいて。
「教える」っていうのは、結局のところ、「正しい情報を、ひたすら伝える」っていう風になると、呪いになるんですよね。
そうすると、自分は完璧に知らなきゃいけないっていうことになっちゃうんですけど。
実際にはですね、「教える」って何かって言うと、その人達が行動するきっかけを提供するだけなので、完璧な知識がないといけないっていうものでも、何でもないんですよね。
ちなみに、僕は空手の指導員も持ってますし、スキーも正指導員っていうのを持ってるんですけれども。
両方ともですね、腕前とか、強さとかっていう観点、全っ然ダメッダメですからね。
僕、正指導員の中でも、たぶんスキーの技術というのは、ビリから数えて何番目ぐらいにヘッタクソだと思うんですけれども。
だけど、教えることはできたんですよね。
なぜかと言うと、僕は別に、スキーの技術が高いことを見せつける為に、その資格を使っていたわけではないし。
「教える」っていう行為は、ぶっちゃけ資格なくっても、たぶん教えることできたと思うんですね。
ただ、実際に資格を持っていると、教わる側が安心できるかなというのと。
実際に、資格を取るプロセスに乗っかっちゃったんで、ついつい取ってしまったんですけど。
実際に教えるだけだったら、自分が安全に楽しく滑れる技術を持ってるんだったら、誰が誰に教えたって、別に構わないんですよね。
特に、人命に関わるとかっていうのは、さすがにちょっと考えた方が良いかもしれないし。
そこは一応、資格というのをちゃんと取った方が良いような気がしますけど。
なにしろ、基礎的な知識が抜けていると、その人の命に関わっちゃったりするわけですからね。
そうじゃないものであれば、趣味のものだったりとかであれば、全然誰が誰に教えても構わない。
そんな風に、僕は思うわけですよね。
ちなみにですね、今日カミさんが最後の方に、ちょっとしたデモンストレーションで。
これ、僕の方から、”やって”っていう風にお願いをしてですね。
画用紙にサラサラっと、デッサンをしてもらったんですけど。
「彼女のやり方が、100%正解」っていう風にしちゃうと、学生さんが「あれが、正解なんだ」っていうことで、視野が狭くなっちゃうんで。
「あくまでも、一つのサンプルとして見てね」という体でですね、カミさんにデモンストレーションでデッサンをやってもらったらですね。
鉛筆持った段階で、学生さん、どよめくんですよね。
”おぉ~”っていう感じになると。
なにしろ、”今まで通った道の一部”だとは言いつつもですね、そのことに間違いなく、かなり没頭した時期はあるわけで。
更にですね、その分野においては、才能も証明されていると。
ってなると、ちょっとしたデモンストレーションも、他の人達からすると、感動ものなわけですね。
実際にですね、僕から見るともう、ほぼマジックですからね。
人の顔を描く時には、こんな感じで、こんな感じでっていうので…
顔の輪郭を描いて、首描いて、肩の辺りを描いてってやると、それ自体でもう、きっちりと人のバランスになってるんですよね。
僕が描いたら、だいたいドラえもんみたいになっちゃいますからね。
ですので、その時点で、「すげぇ~」って感じですし。
そして、「こういうやり方すると、おかしくなっちゃうよ」っていう悪い例みたいな感じで、目玉を描いたりとかするんですけど。
その時の鉛筆の動かし方とかっていうのも、全然違うんですよね。
そして、「あくまでデモンストレーションとして、ちょっとサンプルで見といてね」ぐらいでやったら、「正しくやらなきゃいけない」「完璧にやらなきゃいけない」とかって思う必要もないので。
まあまあ、気楽にできると思うんですね。
”私のやり方は、こうですよ”という、そんな言い方であれば、ほんとに「教える」というハードルって、グッと下がるんじゃないかなと思います。
ということで、まず自分自身の経験とかですね。
今までに体験したことっていうのを、ちょっと振り返ってみて。
「これだったら、人に教えられるかもしれないな」っていうものを、教える機会があるかないかに関わらず、教えられる状態でちょっと準備しておくっていうのは、結構効果的なアプローチなんじゃないかな~と思うんですね。
そうやって準備をしておくと、何かの機会がパッと来た時にですね、すぐに「教える」という行動に移せるわけですね。
ちなみに、今日もですね、カミさんが講義した後で、学生さんがやってきて。
”別の先生が、デッサンを教えられる人を探してるんですけど…”っていう風に言ってきたんですね。
その時に、今日教えられることを証明していたので、”いや、あんた、やれば良いじゃん”っていうことで。
僕がですね、背中ドンと押しまして。
カミさんが、実際に教えるというプロセスに入っていくことになりそうなんですよね。
こんな感じで、ちょっと準備しておくと、チャンスって必ず広がっていきます。
なので、自分の今までの体験を見てですね。
これ、他の人と比べる必要、全然ないですからね。
自分が体験してるか、体験してないか、こんだけで良いです、まずは。
そして、「どうやったら、これ教えられるんだっけ?」という風に、まず自分で考えてみて。
そして、できればそれをコンテンツにして、ロジック組み立てておくと、チャンスがメチャクチャ広がります。
いざっていう時の一歩目が、サッと踏み出せますんで。
これ聴いたその直後からですね、すぐにアクションを起こしてもらえると良いなと思います。
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