とりあえず脳が疲れたら美術館に行くといい。

人に好かれるセリフ
「心配いらないので」⇒「自分でできると思います」

ー---------------------------------------

このページはVoicy「澤円の深夜の福音ラジオ」1507回を、文字起こし・編集したものです。

【1507回】とりあえず脳が疲れたら美術館に行くといい。 | 澤円「澤円の茶話会ラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「澤円」の「【1507回】とりあえず脳が疲れたら美術館に行くといい。(2022年5月5日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

川村記念美術館が最高だった。

昨日の放送の「最後に」のパートでですね、ちょっとお話をしたんですけど。

昨日、僕は「川村記念美術館」というところに、カミさんと二人で出掛けてきたんですね。

DIC川村記念美術館 | Kawamura Memorial DIC Museum of Art
千葉県佐倉市にある20世紀美術を中心とした美術館です。北総台地と呼ばれる緑豊かな自然環境の中にあります。来館情報や展覧会、コレクションについてご紹介しています。

そして、いろんな作品を見てきたんですけれども、あまりにも素晴らしかったんで。

ちょっとその体験、及びそこでの気付きなんていうのを、ちょっとお話しようかなと思ってるわけなんですけれども。

まずですね、カミさんが僕に以前貸してくれた本で、アメリア・アレナスさんという方が元々書いていて。

日本語にはですね、福のり子さんという方が訳した「なぜ、これがアートなの?」という本。

これを、昔読んでたんですけれども。

今でもですね、折に触れてパラパラと眺めたりしてるんですね。

そして、ここの中に写真が出ていて、その写真についての解説っていう、そういうスタイルの本なんですが。

その写真に出ていた作品が、たっくさんあったんですね。

後で聞いたら、この本っていうのが、三つの美術館の収蔵品を元に作られているっていうところから、自然な話ではあるんですけど。

全然、その前提知識を持たずに行ったので、「あ、見たことがある作品があるぞ!」っていう感じでですね。

メチャクチャ、僕は興奮したわけですね。

「あ、こんなだったんだ!」って感じで、非常に驚いたんですけど。

例えば、カジミール・マレーヴィチさんとかですね、マーク・ロスコさんとか、フランク・ステラさんっていう方々の作品があって。

これ、本で見たことがあって、どういうものが描かれているかっていうのは、知ってはいたんですけれども。

行ったらですね、まずその大きさに、メッチャびっくりするんですよね。

予め、写真で見たことがあるんで、「どういうものが、描かれているのか?」っていうのは知ってるんですけれども。

やっぱりですね、空間の中でその作品と向き合うっていうのは、結構衝撃受けるんですね。

単純に、すごく大きいっていうのもあって。

たまたま、川村記念美術館っていうのは、大きめの絵を飾ることができる十分なスペースを用意しているので、そちらの方に、大型のキャンバスに描かれている作品っていうのを、たくさん展示ができるわけですね。

なので、割と自然と、そういう大きい物っていうのが、そこにどんどん収蔵されていったのかな~とも思うんですが。

まあ、写真で見るのと、大違いなんですね。

写真で見ると、「ただの情報」っていう感じだったのが、実際に美術館で見ると、やっぱり作品なんですよね。

そして、無機物。

生き物ではないんだけれども、圧倒的に何かを放っている雰囲気があってですね。

ちょっと、息が詰まったりとか。

あるいは、考えさせられたりとか、

ちょっと、目が離せなくなったりとかっていう、そういうことが起きるんですよね。

やっぱり、アート作品っていうのは、その存在だけでパワーがあるんだな~っていうのを、改めて実感することができました。

僕はですね、アートというものに関しては、そんな偉そうに語れる程、知識全然ないんですけど。

幸いにして、カミさんがですね。

武蔵野美術大学を出ているということもあって、いろいろと僕に教えてくれるんですよね。

そして、知識という点では、知っていることをどんどん教えてくれるわけなんですけれども。

結構参考になるのが、「カミさんが、どういう風に感じたか?」ってことなんですよね。

これって、脳の中での化学反応なので、人によって全然違うと思うんですけど。

美術というものを専門で勉強したり、体験したりした人がですね。

どのように感じたかっていうのは、やっぱりものすごい参考になりますし。

そして、「必ずしも、知識というものがないと、絵というものを見てはならない」とかですね。

「絵から、何かを感じとってはならない」とか。

「そんなことは、全然ないんだな」っていうのが、自信を持って再確認できるっていう、昨日はそんな体験をすることができたんですね。

カミさんと結婚してから、まあまあよく美術館に行くようになったんですけど。

結婚する前は、美術館に行く回数もメチャクチャ少なかったですし。

行ったとしても、脳の中で行われていることっていうのは、一つの情報処理だったんですよね。

つまり、何かアートから感じようとか、感動しようとかっていうよりは、「何という作品名で、どういうアーティストが、いつぐらいに描いたのか・作ったのか?」っていう、その情報っていうのを知らなければならないって、何となくそういう風に思っちゃってたんですよね。

なので、パッとこう解説されているのを見たりとかして、「あ、これは、たしか学校で習ったな」とかですね。

あるいは、「これは、僕は知らないな」とか。

そんな感じで、常に情報処理が脳の中で行われているっていう、そんな感じだったわけですよ。

それがですね、昨日は、特に。

予め、知識としては得てあった、幾つかの作品っていうのに出会えたわけなんですけれども。

ただですね、現地に行ったら。

カミさんと結婚して、大分そこら辺の感性っていうのが、知らない間にある程度、磨かれていたのかもしれないんですけれども。

作品に熱中するっていうことが、結構できたかな~っていう感じが、何となくするんですね。

作品っていうのは、ただ単にそこに存在しているだけであって、それを理解しなきゃいけないとか、知識としてきちんと吸収しなければならないとかっていうのは、自分にかけている呪いに過ぎないんじゃないかな~という風に、何となく思ったんですね。

そして、アートっていうのは、正解があるものではないので。

そして、何を読み取るかというのは、見ている側に委ねられているという側面もあるんじゃないかな~って思うんですよね。

もちろん、アーティストの方は、このように伝わって欲しいとか、このように受け止めて欲しいって、そういう意図を持って作っている場合もあれば。

それはもう、完全に受け手の方に委ねてしまっていて、自分は「生み出す」というところにだけ集中するっていうタイプの人もいると思うんですね。

これはもうほんとに、人に依るんじゃないかな~と思うんですけれども。

いずれにせよ、受け取り手がどういう受け取り方をするのかというのは、自分で決めれば良いと。

そして、そこにですね。

わざわざ、受け取りにくくするようなトラップみたいなものを、自分に仕掛ける必要は全然ないんだな~というのが、ようやくわかってきた感じがします。

カミさんは、そういった意味で言うと、プロの目としてそういったものっていうのを見て。

尚且つ、僕にもそうやってアドバイスをしてくれるので、僕はすごく安心できるんですけれども。

恐らくなんですが、そういうところに、なぜかハードルを作ってしまう人っていうのは、自分がその呪いにかかっていて、その呪いを他人に押し付けているせいなのかもしれないなって思ったんですね。

これ、ちょっと断言はできないんですけれども、何となくそんな気がするというだけですね。

そして、そこからはとにかく自由になってしまって。

何が大事かって言うと、まずは脳みそを空っぽにするっていうことが、結構大事かな~という風に思いました。

つまり、美術館っていう場所は、まず、脳みそを空っぽにする。

これはどういうことかって言うと、作品が発するメッセージだったりとか、何かしらのパワーみたいなものっていうのを、どんどんその隙間に流し込んでいってですね、満たしていくな~んていう時間の過ごし方をすると、とっても有意義になるんじゃないかな~と思うんですよね。

そして、川村記念美術館はですね。

ちょっと、アメリカやヨーロッパの方の美術館に近いかなっていう印象を受けたのが、フェンスがないんですね。

作品と見る人の間にフェンスがなくって、床にちょっとした線が引いてある程度なんですよね。

なので、作品と人の間に分断するものが少ないということで、かなり作品に対して、集中して見ることができるような作りになっているのが魅力だな~と思ったんですね。

アメリカやヨーロッパで、カミさんと一緒に行った美術館は、だいたい真ん前までは行けたんですよね。

線が引いてあるところもあったかもしれないんですけど、たいていの場合、柵なんかもないし。

かなり、自由気ままに作品を見ることができましたと。

僕は、東京にある美術館に、何回も行ったことがあるわけなんですけど。

そちらは、だいたい柵がある印象なんですよね。

ですので、「作品は、人とは別物なんですよ」「交流するようなものじゃ、ないんですよ」っていう分断された印象っていうのを、何となく持ってて。

だからこそ、正しい知識を持って近くに行かないと、そもそも作品を見ることも許されないみたいな。

深層心理に、そういう印象を持ってたんですよね。

ですけど、海外の美術館なんかも体験し、それから戻ってきてですね。

昨日、川村記念美術館に行って作品を眺めたら、ちょっと感じ方変わったな~っていうのを実感したんですよね。

そして、「あ、自分は作品というものと向き合って、そして対話することができるんだな」っていうのを。

これ、理解するっていうのと、ちょっと違うんですよね。

あくまでも、対話をして、自分の中に何か、そこから発するものを生み出していく・受け入れていくっていう、こういう作業に集中すれば良いんだなっていうことが体験できたんですね。

ちょっと日本だとですね、有名な作品がやってきたって言うと、も~のすごい人だかりになっちゃって、ごった返すような感じで。

人の頭、見に行くような状態になっちゃうっていうのが、今でもあるんですかね?

なんとな~く、以前は有名作品が来ると、えらいことになるっていう印象があるんで。

あんまり、美術館に足、向かなかったんですけれども。

昨日のような体験がしょっちゅうできるんだったら、もっと美術館に行っても良いかな~なんて思いましたね。

あの美術館は、また展示変えるでしょうから。

展示が変わったタイミングで、ぜひ行ってみたいな~と思っております。

コメント

タイトルとURLをコピーしました